三寶山 眞華院 不器用だけど心があたたまる東北の片隅にあるちいさな日蓮宗のお寺    ホームページTOPへ  ブログTOPへ

2011年11月26日

11月26日

今年二人めの友人が早々と化を他界に移されたため、長崎までいってきた。
(僧侶が亡くなると遷化・せんげという、化を遷す)
二人とも五十代で、ほんとうに残念だった・・・。

いづれ別れが来ることはみな承知してはいるが、むこうへ行くのが少し早かった・・。
もう会えないことを思うと寂しい。

仕事柄たくさんの別れの場に立ち会っているが、それぞれの場でもやはり別れは辛く悲しい。
仕事柄平然としているようだが、我々も人間、施主の思いや心がつたわってくる。
むかしある僧は、葬儀はタンタンとやれ、情は禁物だと言う人があった。
いろんな意味があるだろうが、私は、亡き霊位や施主の悲しみは悲しみとして、苦しみは苦しみとして受けとめ、そのうえで霊位にも施主にもなすべき大切なことを話すようにしている。

訃報を聞いてからも信じられなくて、どかで信じたくなくて嘘だろう嘘であって欲しい皆がそう思うように私もず~っとそう思って二ヶ月あまり、日毎朝の勤行で彼の法名を読み上げていた。

亡くなって一週間ぐらいたったある朝、法名を読み上げた途端涙がとめどなくあふれてきた。
そのとき彼がお別れにきてくれたものと感じ、思わず嗚咽してしまった。

ふしぎなもので私は二人の友人共に亡くなる三ヶ月前くらいに会って食事をしていた。
我々は日本の北と南かんたんには会えない距離なのにたまたまとか丁度とかと言う具合に好機が重なって会い、一献かたむけ楽しく語らいまたの再会を約束してわかれた。

いまとなっては心にのこる大切な大切なたからものである。



Posted by 眞華院事務局 at 16:09│Comments(0)
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